【沿革】

戦前、現在の一宮商工会議所がある場所にあった青果市場へ毎朝地野菜などを納品しに出入りするお百姓さん相手に饂飩の製造販売をしたり、近隣のお百姓さんから買い付けた鶏卵を『地玉子』というネーミングで販売したり、岐阜県の高富あたりで茶を扱っていた茶商さんから、岐阜の揖斐あたりで作られていた「日干番茶」を買って繊維関係の会社や寺院等へ配達するというようなことが創業当時だったらしい。いわゆる、よろず屋的であった大塚商店を祖父、大塚金次郎が、祖母 マサ子と共に始めた。また「大塚家」は、江戸時代の安永の後、寛政の前である天明年間、10代将軍・徳川家治の時代から、現場所に住み続けているということで約230年ほどである。この地に住みながら百姓をしていたのがルーツらしい。

そこから戦後、一宮空襲で焼け野原になった現場所本町4丁目(当時は本町通り7丁目)で祖父自らの設計のもと、遠い名古屋の西区あたりから中古の建築資材を大八車で祖父と中学生の頃の父のお兄さんである叔父で毎日のように往復して買い付けて、祖父自ら大工道工を器用に使いこなして瓦屋根で平屋建ての店舗兼住居を建て再び商売を始めた。そして戦後復興から1950年代以降『お茶専門店』へと変わっていったということらしい。

その後、名古屋の繊維商社に勤めていた父、大塚英雄が1965年から二代目として引き継ぎ、母と共に店頭販売と市内及び近郊の食料品店(八百屋)への卸売等を積極的に始めるが大手スーパーマーケット進出及び食料品店(八百屋)の廃業等により取引先は減っていき店頭販売及び企業様、飲食店様等への納める業務用茶を中心に商売を続けてきた。そして、某外食産業で会社員をしていた私、大塚登が、1994年から愛知県名古屋市の老舗茶販売会社の「お茶の妙香園」で三年間、お茶屋のイロハを学んだ後、1997年から市内及び近郊のスーパーマーケット及び一宮地方総合卸売市場「日曜新鮮朝市」において催事販売を始める。2003年より店主自らホームページ及びオンラインショップを構築し、日本全国へネット通販を始めて現在に至る。